せめて守って欲しい社会人基本ルール
どの企業も就業規則遵守や従業員教育など中国人スタッフの対応に手を焼いている事と思う。何度社内ルールを決めても一向に守らない傾向が続くのが中国である。
使った後は片づける、業務机は整理整頓する、帰宅時は椅子は戻す、白板は使ったら消す、ゴミは分別する、タバコは所定の位置で吸うなどなど、細かなルールは圧倒的に守られない。日本人が細かすぎるというのもあるが、業務に支障をきたすルール無視も散見されるのである。社会人として基本のルールぐらいは、せめて守って欲しいと思う日本人が間違っているのだろうか⁉︎ と思うことすらたまにあるwww。
異国の地、言葉の違い、文化の違い、風習の違い、教育レベルの違いなどなど、同じなのは皮膚の色だけと揶揄されるぐらい違うという人もいる。本当にそう感じる時があるので、的を得た言葉過ぎて笑ってしまうぐらいである。
中国に始めて来られた日本人は、文化や風習の違いに圧倒される人も多いだろう。何を隠そう、私も中国に来たばかりの頃は、そんな違いすら分からず、鬱になりかけた経験がある。言葉、文化、風習、人間関係、新しい業務と5重苦が一気来た感じであったのを思い出す。この様な思いをする人が、ひとりでも少なくなる様に、この記事を書いているのであるwww。
『北風と太陽』思考
「北風と太陽」という、イソップ寓話のひとつである。北風と太陽が力比べをしようとする。そこで、旅人の上着を脱がせることができるか、という勝負をする。 まず、北風が力いっぱい吹いて上着を吹き飛ばそうとする。しかし寒さを嫌った旅人が上着をしっかり押さえてしまい、北風は旅人の服を脱がせることができなかった。次に、太陽が燦燦と照りつけた。すると旅人は暑さに耐え切れず、今度は自分から上着を脱いでしまった。これで、勝負は太陽の勝ちとなった。というお話である。
この話は、よく人材教育の動機付けなどに使われる。北風のように、強引にではなく、太陽の様な暖かい、やさしい気持ちで接して、相手自身が能動的に動く様に働きかけるということである。
日本人的に考えた場合は、話の主旨である通り太陽の方が当然正しいという選択になるのだが、果たして中国の場合は当てはまるのだろうか…。
中国の規則やルールに対する発想
ある日、屋内禁煙のルールが出た。タバコを吸うのに、高層ビルの21階から1階まで降りなければならない。とても面倒である。中国ナイズされていた私は、その後も隠れて21階で吸っていたのだが、このルールが出た日以降、スタッフは一切ルール通り1階まで吸いに行くようになった。なぜだろう⁉と思っていたら、やっぱりあった、罰金200元…(詳しくは”中国で速攻且つ効果的に規則を守らせる一番の方法とは!?”https://www.china-aruaru.com/penalty/)
このような事もあり、政府のルールなども改めてみると、殆ど罰金が明記されているではないか⁉ また、中国には『上有政策、下有対策』という言葉がある。国に政策があれば、国民にはその政策に対応する策があるという意味だが、実際は『決定事項について人々が抜け道を考え出す』という意味である。対策という真意は抜け道であり、『法さえ触れなければOK的な発想』なのである。会社のお願い的なルールなど、無視して当然と考えている可能性も大いにあるかも知れない。
もし、会社のルールがお願い型だとすると、個人的には、コロナ対策もよく似たシチュエーションであると感じる。日本は自粛要請はお願い的に政府が『外出を控えてください』『3蜜を避けてください』強制力はないけども…であるが、中国は有無を言わさず、ロックダウン、外出は2週間禁止。買い物には2日に一度、IDカード提示で、各住宅街の棟毎に監視体制がひかれる徹底ぶりである。住民・国民の意見など聞く耳を持たない。
お願い型:日本のコロナ対策 ≒ 会社ルール
強制型 :中国のコロナ対策 ≒ 法律、罰金、共産党
整理するとこのような感じである。中国人にとって、お願い型はあくまで要望であり、守らなくても自分自身に被害、損害はないので『何が悪いの?』的に考えるのではないだろうか!?
中国では 北風!? か 太陽か⁉どっちの思想がお似合い
中国の教育は共産党が実権を握っているので、お上には理不尽でも逆らえないという根底思想が叩き込まれている様に思う。よって、強制的に物事を決められて従うのに慣れているのである。また、人政治と言われるくらい、会社の規範やルールより、優先するべきものは人と人との繋がりであり、社会全体がそのルールで成り立っているである。よって、政府や人事権を握る上司には絶対服従、法に触れない限りは、その優先順位は揺るぎないのである。
この様な背景を踏まえて考えると、北風と太陽でいうと、ここ中国では今のところは北風に軍配が上がると考える。会社ルールも権力者からのトップダウンや、罰則などが有効的であろう。
しかし、『今のところは』である。この様な考え方や発想がグローバル社会において、いつまでも通じるとは考え難い。いち早く、国全体で一皮向けて欲しいと切に願う今日この頃である。
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